「その島」に向かう

 

 「その島」は99才のお年寄りとの話の中に出てきた場所。

ハンチング帽を被りいつも決まった場所でコーヒーを飲むその人は、自分が生まれ育った瀬戸内海の、ある島の話をしてくれた。その人は「その島は牛の形をしている」と言う。そして紙に牛の絵を描いてくれた。震える手で黒いペンを持ち、牛の顔のアウトラインを引いた。牛の顔の形の島というのが気になり、後で地図で見たら、瀬戸内海にはそんな島は存在しなかった。その代わりに、牛の顔ではなく横を向いた牛の全身に見える島があった。事実と違ったその人の記憶の中の島。気にはなったが、その人は冬に体調を崩して、島の事に関して聞く機会を持てずに、年の暮れのある日に亡くなった。私の手元には、はっきりと描かれた牛の顔の絵が残された。その島から都内に上京してきたその人の記憶を逆に遡り、その島に向かうべく旅を始めて、実際にある瀬戸内海の島に辿り着く。しかしその人の記憶の中の島とのずれは重なることはない。それどころか、現実の場の上では事実としての島が明確になるにつれて、「その島」の存在の否定を、一層確信するばかりである。

 

 私は島の中で「その島」を探す。

 

 その人の記憶の中に認識されていたものは、長い年月の間、語られることはなく埋もれていた。出来事の内側から出ることはなく、事実とずれながらも個人の物語の中で真実として意味を持ち始め、その人が語る物語の中にだけに存在する「その島」。だが、事実とは異なる「その島」は実際にはなく、語られ始めた瞬間に、事実によって否定されて消え去る。

 その島は、決して陸地として浮かび上がってくることはない。現実の陸の上にはない、水の側に埋もれる島。決して辿り着けない島。

 

水の島

1. 水の島

    2001年

    1800×900×250mm

   不飽和ポリエステル樹脂、インク


2.「島」は牛の形をしている

    2000年

    紙、インク

    13.3×15.0㎝

3.「その島」はここにある

    2000年

    紙、インク

    13.3×15.0㎝